大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和46年(あ)147号 決定 1971年12月17日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人藤原義之の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(なお、被告人が、製造、販売、貯蔵した原判示の牛胆(豚の胆のうを一旦その袋から中身だけ取り出して、よく煮つめたうえ、さらにこれを牛の胆のうの袋に詰め込んで乾燥させたもの)、平胆(右の煮つめたものを豚の胆のうの袋に詰め込んで平たくして乾燥させたもの。)およびエキス(右の煮つめたものを缶詰めにしたもの。)は、その成分、効能、外観および名称からみて、薬事法二条一項二号にいう人の疾病の治療又は予防に使用されることが目的とされている物にあたると認められるから、これらが同法二条一項にいう医薬品にあたるとした原判決の判断は、結論において正当である。また、同法一二条一項にいう業としての医薬品の製造とは、一般の需要に応ずるため、反覆継続して、医薬品の原料を変形又は精製し、もしくは既製の医薬品を配合する等の方法により医薬品を製出することをいい、必ずしも化学的変化を伴うことを要しないものと解されるから、被告人が牛・豚の胆のう、胆汁を原料として、原判示のような方法により牛胆、平胆およびエキスを製出したことが、医薬品の製造にあたるとした原判決の判断は正当である。)。また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(岡原昌男 色川幸太郎 村上朝一 小川信雄)

弁護人の上告趣意

第一点 原判決を精査したるところ刑事訴訟法第四〇五条に定める上告の理由はこれを見出すことはできない。

第二点 しかし原判決には同法第四一一条第一号による判決に影響を及ぼすべき法令の違反、第三号に定める同様の重大な事実の誤認があつて、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、御精査の上、原判決を破棄されることを求める。

一、原判決は、上告人の控訴趣意書第一点について、第一審判決には事実誤認、法令の解釈適用の誤りはないとして、上告人の主張をしりぞけた。

ところで原判決の述べるところによると「牛胆」は、豚の胆のうを一旦その袋から中味だけ取り出して、よく煮つめたうえ、更らにこれを牛の胆のうの袋に詰め込んで乾燥させたもの、「平胆」は右の煮つめたものを豚の胆のうの袋に詰め込んで平くして乾燥させたもの、「エキス(固型)」は右の煮つめたものを缶詰めにしたものである、ことをみとめた上で、神奈川県衛生部薬務課長の鑑定嘱託について(回答)その他の証拠を綜合して考察すると、本件の「牛胆」「平胆」および「エキス(固型)」は薬事法、第二条、第一項第二号か、少なくとも同条項第三号に該当し、同法にいう「医薬品」と呼ぶに何らの支障もないものと解されるとしている。

二、ところで果して原判決がいうように、右のようにしてでき上つた「牛胆」「平胆」「エキス(固型)」が、そのままで直ちに薬事法、第二条、第一項、第二号または第三号に該当する医薬品と呼ぶに何らの支障も、ないと云いきれるであろうか。

右各号の医薬品とは、人などの疾病の治療又は予防に使用されることが目的とされている物か、人などの身体の機能に影響を及ぼすことが目的とされている物である。目的とされているということが、この場合の医薬品の要件である。

一般的には医薬品としてみとめられているものには目的が化体されている場合がある。そのときはその物にはとくに医薬品としての説明は不要である。しかしそのものに医薬品としての目的が化体されていないときは説明が必要になる。単なる水はそれだけでは医薬品ではない。なんらかの説明(効能)が附されるときにはじめて医薬品の販売とみなされることになる。

胆汁、胆のうのみでは医薬品とはいえない。それを煮詰めただけのものも医薬品とはいえない筈である。

「牛胆」「平胆」「エキス(固型)」の名称はどうか、「牛胆」は医薬品と目される名称のようでもあるが、「平胆」「エキス(固型)」はそれだけでは到底医薬品と目される名称ではない。

(以上は原審第二回公判における証人上田忠照の供述からもみとめられるところである)。

ところで本件の場合、被告人が「牛胆」「平胆」「エキス」の名称を使用したのは、取引の便宜のためだけである。それも被告人自身その名称を知つていたわけではなく納入先から教えられて納入の便宜のためだけに右の名称を使用したのであり、(原審第三回公判における被告人の供述)「牛胆」なる名称もここでは「平胆」「エキス」と同様に納入する物の仕分けのために使用されているだけである。

豚の胆じゆうを煮つめただけのものが、その煮つめたということだけで医薬品製造になる筈はないし、「牛胆」などという名称が付されて納入されたとしても、特定の二名の業者に納入されただけで医薬品の販売となるとも考えられない。

三、次に原判決は薬事法一二条一項にいう「製造」には必ずしも化学的変化を伴うことを必要とせず、唯だ物理的変化を伴うだけでも足りるものと解すべきであるという。

ところで原判決の引用する大阪高裁判決によると、その物理的変化とは、ある医薬品の若干量とある他の医薬品の若干量を調合する場合とか、ある医薬品の大量を小分作業により分包する場合を指しこれを医薬品の製造に該当するとしているのである。(大阪高裁昭和二六年二月五日刑判集四巻二号九七頁参照)本件のごとき胆汁を煮つめただけのものが、それだけで医薬品の製造になるとは解することができない。

四、さらに第一審及び原判決の証拠とされている神奈川県術生部薬務課長の中原警察署長にたいする鑑定嘱託についての昭和四四年四月二五日付回答書中の鑑定事項(4)によると、本品が薬事法に基づき医薬品の製造承認製造許可を受けているならば医薬品である。

ただし単なる物である「胆のう」も薬効を記載し又は述べれば無承認無許可の医薬品であると述べられている。

右回答には明確を欠く点もあるが、その解釈にもとずいて、被告人の行為を見ると、被告人が単なる物である胆のう内の胆汁を煮つめたいわゆる「牛胆」「平胆」について薬効を記載し、又は述べていれば、無承認無許可の医薬品を製造販売したということになるのであろう。

しかし被告人は実際には右「牛胆」などを、菅俣吉三郎(粉砕加工業)と陶々酒本舗(医薬品製造販売業)の二業者の需めに応じて製造納入したに過ぎず、右納入に当つて薬効を記載したわけでもなく、薬効を述べたわけでもない。

また広く不特定多数の者に薬効を述べて販売したわけでもない。したがつて同薬務課長の右回答の趣旨からいつても、被告人が右二名に納入販売したのは単なる物としての「牛胆」「平胆」であり、無承認無許可の医薬品を納入販売したのではないのである。

五、一般にオウレン・センブリなどの薬草類を採取した者が、これを火力乾燥、あるいは、自然乾燥して、医薬品製造販売業者に納入販売する場合には、それは単なる物である薬草類の納入販売として扱われており、処罰の対象にはなつていないと思われる。

本件被告人の牛胆などの納入販売行為もこれと同様に解することができるのではないであろうか。

オウレン・センブリはそれについて薬効が記載され、または述べられて一般に販売されるときにはじめて健胃消化剤なる医薬品としての販売と解されることになるのではないであろうか。

六、以上述べた理由により、牛胆そのものは当然には医薬品とはいわるべきものではないと考えられるのであり、この点において原判決には医薬品にあらざるものを医薬品として認定した誤まりがあり、破棄を免れないものと信ずる次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例